日曜日, 8月 23, 2009

選挙こもごも

政教分離なんてケチくさいことは言わないけれど、本当に任せたら日本を良く出きるのかい?
BeepCapです。

この時期、ものすごく友人が増えます。
ええ、大抵こう始まります
「 やあ、Beep久しぶり。今時間ある? オレオレ俺だけどさ、その選挙区の○○さん、良いよね。公明党に い れ な い か? 」


本当に、御苦労様です。頭が下がりますね、逆効果戦術に。

人は、心酔している人間からの発言は多少怪しくても信じてしまう傾向にある一方で
あまり信用していない人間からの発言は、むしろ積極的に否定材料とします。

まわりが言っているから、僕も私もというのは、「まわりの一人」をさすのではなく
「まわりに値する、信頼できる人間が一人」ということ


なんかわかってないのか、わかっててあえてやってるのか


しかしですね。


幸福実現党 = 幸福の科学(宗教/仏教系)
公明党   = 創価学会(宗教/カルト系)
オウム党  = オウム真理教(現在は立候補しておらず)

まだまだあるんですが、有名どころはこんなものかな?

これら、政権を任せると、本当に良い政治を行うのか というお話。
もし、今の自民だ民主だより良い政治を行うのならば
100000000歩譲って、宗教は嫌だけれども、政治を行ってもらうという手はあるわけです。

オウムはまぁよろしい。
もはやアーレフという一宗教団体ですし、今のところ害悪もないよう。
議席も取れませんでした。
しかし、あの事件の印象しかもっておられない方には、オウムがどういう理念をもっていたかを
少し説明しておかねばなりません。

オウムの基本概念は
「優秀な人間が、優秀さを生かせずに死んで行く事が無念である」
ということ。

優秀さの証明を欲した人たちの集団であり
その一つの解がサリンだったわけです。

個人でもつくれるんだぞ と

つまり選民的ですね。


幸福実現も、公明もこの基本は変わりません。
何を基準にするにしても、宗教が安寧を求める限り
どこかで選民的になります。

なぜなら、人の幸せとは相対的なものだからです。


不幸な人がいないと、人は幸福を実感できないんです。

下しか見えない人が多いのです。


というおはなし。


つまり、 宗教に正しい政治は行えないのですよ。




少なくとも、選ばれてない側に正しい政治 は ね。

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