無敵の人なんていない
最近殺人事件が起きて世間を騒がせている。 事件の被害者の方のご冥福を祈るばかりだが、 この事件では加害者が「40代のニート」であって、 守る物が何もないから起きたと分析する向きもあるようだ。 こういう人たちを、黒子のバスケの脅迫事件の犯人のセリフから、 「無敵の人」と呼ぶことが多くなってきた。曰く、「『無敵の人』はすべてを失っているからもう何も守る必要がない、 そう社会性の根源たる法律もだ!」という理屈なわけだ。 なるほど、一理あるように見える。 すべての失って何も捨てる物がなければ、ほんのわずかなバランスで殺人の犯す、 理屈が通っているように見える。
が、本当にそうだろうか?
まず前提として、彼らはすべてを失っているだろうか? 職が無い? 友人や家族がいない? そんな人間くさるほどいるし、それでも楽しく生きている人間も それなりに見かけないか? ネットの世界ではよく居るような気さえしないか? 今回の犯人も、インターネットでは暴れ者として有名だったようだ。 少なくとも彼らの居場所はインターネットにあったようだ。 「すべて」を失っているわけではないように見える。
また、すべてを失った人は人を殺しに行くか?という問題もある。 孤独死の件数が昨今増えているという報道があるが、 彼らとて、孤独に死ぬくらいなのだから、世間に恨みの一つや二つはあるだろう。 しかし、孤独死をしそうな人間のモラルが急激に低下したといったような... 少なくとも今回の事件につながるような類型の事件は起きていない。 半面、新幹線斧事件もそうであるように、何らかの要因と共に、 事件は発生している。 そして、これは誰しもが経験があるとは思うが、 人は世間とのつながりをすべて失ってしまったと、(それが誤解でも) 認識してしまったら、自殺してしまうのではないか? 「すべて」を失ってしまった人は、犯行を起こす動機も失ってしまうように見える。
僕はだから、「無敵の人」などというものはいないと考えている。 では彼らは何なのか、何が要因で「普通の人」なら考え付きもしないような、 凄惨な事件を起こせるのか。
僕は彼らが、「世間とのつながりが先鋭化した人たち」ではないかと予測している。 カンダタのように、細い細い蜘蛛の糸で世間とつながっている人たちだ。 今回のブロガー殺人事件では、その細い糸が「はてな」だったのではないか?
皆は「はてな」を凍結されただけで、殺人を犯すなんて酷いという。 しかし、もしも、人生に於ける世間との最後の繋がりが、 彼の正義や社会性のありかが「はてな」だったのだとしたら...
彼の行為は許されるものではない。 しかし、彼は決して「無敵の人」ではない、 さいごの砦を守る、孤独の人だったのではないだろうか。
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無敵の人なんていないThis document was generated using the LaTeX2HTML translator Version 2017.2 (Released Jan 23, 2017)
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