ニーア・オートマタ
本文
すこし長文になるかもしれないので、Twitterではなくこちらに書こうと思う。 先に言っておくが、ニーア・オートマタのネタバレを含むので、見たくなければ ここでタブを閉じて欲しい。
beepcapである。
さて、タイトルの通りニーア・オートマタ(NieR:Automata)をプレイしての 感想を書こうと思っているわけだが、その前に断っておきたい。 まず僕はアクションゲームが余り好きではない。アクションは常に理不尽な マップを用意しているし、なぜか限界が測りきれないキャラクターが闊歩している。 調査仕様にも体当りする以外に無かったりする。 しかも、美少女が主人公とか言うともうダメだ、なんで美少女を起用するんだ、 安心感のあるマッチョジジイにしてくれ。 などと考えている人間だ。 ニーア・オートマタにしても当時は食指が動かず、最近になってPS4のストアで 半額になっているのを見て買った。
さて、プレイしてみると、これがアクションゲーではなくシューティングゲーの 仲間であることがわかった。 シューティングは大好きだ。 その昔、ゲーセンで金を積んでいろんなシューティングをやってた。 偶然購入したことを感謝しつつ、ゲームを進める。 人気があるのもうなづける中々重いストーリーと、心を持たないと主人公たちに 思われている機械の村。 素晴らしゲームである。
Twitterでこの村が素晴らしいとツイートしたら、 みんなが「鬼畜な展開に泣くがいいさ」といった反応をしてきた。
悲劇と聞いて、感じていた違和感の正体がなんとなくわかった気がした。 物語の端々に感じる、「作り物の中の作り物」演出。 私が想像したこの世界の仕掛けは、この世界のEエンドより、 もう少し残酷なものだった。
例えば機械生命体の心は「実は人間」であり、 人の体が滅びた後の、魂の器として機械生命体が作られ、 エイリアンは狂言であり、 アンドロイドたちは、もう壊れている。 主人公たちは、その事実に気づき、何も救われない世界で延々と「元人間」を 壊し続けなければならないことを知る。 といったような話だ。
ほんもののエンドはもう少しだけ救いがあるので、 興味のある人はぜひプレイしてみてほしい。 最後に、これほどの素晴らしいゲームを作ってくれた人々に 感謝したい。
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ニーア・オートマタThis document was generated using the LaTeX2HTML translator Version 2017.2 (Released Jan 23, 2017)
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Mathematics Department, Macquarie University, Sydney.
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latex2html -split 0 diary180520.tex
The translation was initiated on 2018-05-20
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