Twitterがサ終することは無いとおもってますけど、一応連絡先書いておきますね。
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どうもbeepcapです。
今回も年に一回の発作でblogが書きたくなってしまったので書こうと思います。
さて、最近こんなツイートをしたら結構ナイーブな反応があったんですよ。
https://twitter.com/beepcap/status/1371601605007532033
で、なんで飲み会に参加しない人がいわゆる無能と判断される率が高いのか持論があるのでそれを書こうかと思います。
が、ここで確認しなければならないことがあります。
以下の人は多分この文書は毒なので読まないほうが良いとおもいます。
あと、これらに該当しない人にとっても毒にはなっても薬にはなりませんので、そのつもりでどうぞ。
beepcap
2018/06/27
曰く、「『無敵の人』はすべてを失っているからもう何も守る必要がない、 そう社会性の根源たる法律もだ!」という理屈なわけだ。 なるほど、一理あるように見える。 すべての失って何も捨てる物がなければ、ほんのわずかなバランスで殺人の犯す、 理屈が通っているように見える。
が、本当にそうだろうか?
まず前提として、彼らはすべてを失っているだろうか? 職が無い? 友人や家族がいない? そんな人間くさるほどいるし、それでも楽しく生きている人間も それなりに見かけないか? ネットの世界ではよく居るような気さえしないか? 今回の犯人も、インターネットでは暴れ者として有名だったようだ。 少なくとも彼らの居場所はインターネットにあったようだ。 「すべて」を失っているわけではないように見える。
また、すべてを失った人は人を殺しに行くか?という問題もある。 孤独死の件数が昨今増えているという報道があるが、 彼らとて、孤独に死ぬくらいなのだから、世間に恨みの一つや二つはあるだろう。 しかし、孤独死をしそうな人間のモラルが急激に低下したといったような... 少なくとも今回の事件につながるような類型の事件は起きていない。 半面、新幹線斧事件もそうであるように、何らかの要因と共に、 事件は発生している。 そして、これは誰しもが経験があるとは思うが、 人は世間とのつながりをすべて失ってしまったと、(それが誤解でも) 認識してしまったら、自殺してしまうのではないか? 「すべて」を失ってしまった人は、犯行を起こす動機も失ってしまうように見える。
僕はだから、「無敵の人」などというものはいないと考えている。 では彼らは何なのか、何が要因で「普通の人」なら考え付きもしないような、 凄惨な事件を起こせるのか。
僕は彼らが、「世間とのつながりが先鋭化した人たち」ではないかと予測している。 カンダタのように、細い細い蜘蛛の糸で世間とつながっている人たちだ。 今回のブロガー殺人事件では、その細い糸が「はてな」だったのではないか?
皆は「はてな」を凍結されただけで、殺人を犯すなんて酷いという。 しかし、もしも、人生に於ける世間との最後の繋がりが、 彼の正義や社会性のありかが「はてな」だったのだとしたら...
彼の行為は許されるものではない。 しかし、彼は決して「無敵の人」ではない、 さいごの砦を守る、孤独の人だったのではないだろうか。
This document was generated using the LaTeX2HTML translator Version 2017.2 (Released Jan 23, 2017)
Copyright © 1993, 1994, 1995, 1996,
Nikos Drakos,
Computer Based Learning Unit, University of Leeds.
Copyright © 1997, 1998, 1999,
Ross Moore,
Mathematics Department, Macquarie University, Sydney.
The command line arguments were:
latex2html -split 0 無敵の人なんていない.tex
The translation was initiated on 2018-06-27
beepcap
2018/05/20
すこし長文になるかもしれないので、Twitterではなくこちらに書こうと思う。 先に言っておくが、ニーア・オートマタのネタバレを含むので、見たくなければ ここでタブを閉じて欲しい。
beepcapである。
さて、タイトルの通りニーア・オートマタ(NieR:Automata)をプレイしての 感想を書こうと思っているわけだが、その前に断っておきたい。 まず僕はアクションゲームが余り好きではない。アクションは常に理不尽な マップを用意しているし、なぜか限界が測りきれないキャラクターが闊歩している。 調査仕様にも体当りする以外に無かったりする。 しかも、美少女が主人公とか言うともうダメだ、なんで美少女を起用するんだ、 安心感のあるマッチョジジイにしてくれ。 などと考えている人間だ。 ニーア・オートマタにしても当時は食指が動かず、最近になってPS4のストアで 半額になっているのを見て買った。
さて、プレイしてみると、これがアクションゲーではなくシューティングゲーの 仲間であることがわかった。 シューティングは大好きだ。 その昔、ゲーセンで金を積んでいろんなシューティングをやってた。 偶然購入したことを感謝しつつ、ゲームを進める。 人気があるのもうなづける中々重いストーリーと、心を持たないと主人公たちに 思われている機械の村。 素晴らしゲームである。
Twitterでこの村が素晴らしいとツイートしたら、 みんなが「鬼畜な展開に泣くがいいさ」といった反応をしてきた。
悲劇と聞いて、感じていた違和感の正体がなんとなくわかった気がした。 物語の端々に感じる、「作り物の中の作り物」演出。 私が想像したこの世界の仕掛けは、この世界のEエンドより、 もう少し残酷なものだった。
例えば機械生命体の心は「実は人間」であり、 人の体が滅びた後の、魂の器として機械生命体が作られ、 エイリアンは狂言であり、 アンドロイドたちは、もう壊れている。 主人公たちは、その事実に気づき、何も救われない世界で延々と「元人間」を 壊し続けなければならないことを知る。 といったような話だ。
ほんもののエンドはもう少しだけ救いがあるので、 興味のある人はぜひプレイしてみてほしい。 最後に、これほどの素晴らしいゲームを作ってくれた人々に 感謝したい。
This document was generated using the LaTeX2HTML translator Version 2017.2 (Released Jan 23, 2017)
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Nikos Drakos,
Computer Based Learning Unit, University of Leeds.
Copyright © 1997, 1998, 1999,
Ross Moore,
Mathematics Department, Macquarie University, Sydney.
The command line arguments were:
latex2html -split 0 diary180520.tex
The translation was initiated on 2018-05-20